瞬輝

星の命について、考えたことがある。空に漂う水素や塵は、長い時間をかけて星になる。水素も塵も、実際には見えない。だから、誰からの目にも留まることはない。けれども、集まって形になれば、美しく輝く星になる。

星の命は長くて一瞬だ。生まれる前も、死ぬときも、誰にも見てはもらえない。

人間に比べれば、遥かに長い時間だけれども。その命の終わりを見届けることは叶わない。

手を伸ばしても触れられない。最期の瞬間を見ることもできない。

それでも私は、輝きの瞬間を目に焼き付けて、忘れたくない。


ある日の放課後。バンド練習はおやすみの日のことだった。

冬の寒さが徐々に近づきはじめる10月。冷たい空気に少しだけ体を震わせながら、部室の片付けをしていた。

たった1人の天文部。教室の半分もない広さでも、1人では持て余してしまう。前の部長さんもそう感じていたのか、およそ天文部の活動には必要としないものが多く残されていた。

壁に飾られた、『Roselia』のポスター。流行に疎い私でも、知っているバンド。とはいっても、クラスメイトから何度か話を聞いたことがある程度でしかないけれど。

放課後は部活の時間。換気のために開いた窓が、徐々に騒がしくなる校庭の声を私に届けていく。耳障りとまではいかないけれど、私はあまり好きじゃない。

何年前のものかもわからない、年季の入った図鑑や書籍を整えていると、1冊のスケッチブックを見つけた。表紙には、少しかすれた【観測記録】の文字。

(……これ、先輩が描いたやつかな……。)

撮影技術が発展した現代において、天体スケッチを行う研究者はいない。しかし、趣味で描く人がいることくらいの知識はある。

(実際に見るの……はじめてだなぁ……。)

星の表面を写実的に描写した絵,夜空の一面を切り取った絵,星座を交えて描かれた絵。大小さまざまな星々の絵は,先輩方がどんな景色・心情で夜空を見上げていたのかを垣間見ることができた。

目を瞑り,夜空を思い浮かべる。瞼の裏をキャンパスに、色とりどりの光たちが煌めきはじめた。


コンコン、と扉を叩く音がした。

その音はとても現実的で、私の意識を充ち満ちた世界から空虚な直方体に戻すには十分すぎた。

(誰だろう……。)

来客に心当たりのない私は疑問を抱く間もなく、扉が開かれた。

「あーえっと、生徒会です。天文部の方ですよね?少しお時間いいですか?」

なんだか、どこかで見たことあるような人。たしか……生徒会長さんだった気がする。

私は椅子から立ち上がって、扉の前まで進んだ。

でも、生徒会長さんが私に一体なんの用だろう。天文部に所属しているのが私一人だけだから、ついに廃部にされるんじゃないか……って。どこからともなく湧いてくる妄想と不安で固まってしまう。

しかし、生徒会長さんが口にしたのは良くも悪くも私の想像からかけ離れたものだった。

「実は今、天文部に所属していた卒業生の方が来られているんです。なのでもしよろしければ、お会いしていただけないかなぁって感じなんですけど……。」

「ねえ、つぐちゃん。早く会いたいんだけどまだ?」

「ちょっと、日菜先輩!落ち着いてください!天文部の子、フリーズしちゃってるじゃないですか!」

(私にとっては)衝撃的な卒業生の登場に、放心状態になってしまった。しかしそれは決して、初対面の人に会うことに対する緊張だけじゃない。うまく言葉にはできないのは、私にとって初めて経験だからなのだろう。

感情の整理がつけられていない私を、笑顔で見つめる生徒会長さん。その後ろから聞こえてくる、とんでもなく明るい声。姿はまだ見えないけれど、私のような臆病で人見知りな人間とは真逆な雰囲気を感じた。

「えー、返事ないし、勝手に登場しちゃダメかなぁ。」

「いやいや日菜先輩。流石にそれは……。」

「えーい!たーのもー!」

返答に困っているうちに、どうやら強行突破することになったらしい。

「あ、あの、まだ私……」

こういう時どうしたらいいのか、私には全然わからない。あのちゃんなら、立希ちゃんんなら、そよちゃんなら、どうしたんだろう。私はいつも迷って、いつも誰かに助けてもらってしまう。

でも、いつまでもそうしてはいられない。私は意を決し、一歩前に踏み出した。しかし、どうやらタイミングが悪かったようで。

「「わっっ!!!!!!!」」

一緒に前に踏み出してしまったせいか、互いの顔がぶつかりそうなほどに近くまで。思わず声が出てしまったけれど、その恥ずかしさよりも。

翡翠の空に光り輝く一番星に、私は吸い込まれていた。


私は、夜が好きだ。街から少し離れれば、綺麗な星空を見ることができる。

でも、その美しさを知っててなお、私は作り物の夜空にも足を運ぶ。それはゆったりとソファに寝転び、優しい声の解説を聞くことができるから。

けれどもそれは、本物の夜空を見ない理由にはならないのだろう。どこかに答えがあるかもしれないが、今の私には見つけられない気がした。

誰かと夜空を見上げるのは、いつぶりだろう。MyGO!!!!!のみんなとゆっくり夜空を見上げるなんてことも、最近はなくなってしまった。それほどに毎日が充実しているからかもしれない。

でも、私は夜空を見るのが好きだ。


「ねえねえ、燈ちゃん。」

隣に立つ日菜先輩が、私に声をかけてきた。つい3時間ほど前に会って、ちゃんと話して。あれよあれよという間に、私たちは屋上へ登っていた。生徒会長さんは「1時間くらいしたら迎えにきますね」と言い残して、私たちを二人っきりにしてどこかへ行ってしまった。

「あ、えっと……。」

「あ、あたしのことは日菜でいいよ〜。その方が呼び慣れてるし。」

「その、日菜先輩、どうしたんですか……?」

「あ、そうそう。本題ね。天文部は今、どんな感じなの?」

「ど、どんな感じって……。」

事実だけを見れば、部員は私一人だけ。先輩の代も日菜先輩の一人だけだったらしいけれど、だからといってありのままの現状を伝えてしまうのも、なんだか申し訳ない気がする。

返しの言葉に迷っていると、それを見かねた日菜先輩が口を開いた。

「大丈夫。燈ちゃん一人しか天文部にいないのは知ってるよ。」

部員が一人だけなことを知っていると話す日菜先輩。

じゃあ、いったい何を聞きたいんだろうと、私の頭の疑問符が増えていく。どんな難しい問いが日菜先輩からされるのか、思わず身構えてしまった。

そんな中で放たれた、日菜先輩の問いかけ。

「燈ちゃんは、天文部に入っていて楽しい?」

それは私が思っていたよりも単純で、簡潔で。

最も答えに難しい問題だった。


あたしにとって、星は『るんっ♪』ってするものだった。

星は、見る人の感情で印象が変わる。おねーちゃんとの関係が冷え切っていたあの頃に見た星空も。おねーちゃんと一緒に見た星空も。全部が全部、『るんっ♪』ってしたりしなかったりして、とっても面白いなぁって思う。

あたしが天文部に入った理由なんて、あんまり覚えてない。けれど、先輩が残してくれた研究ノートや日誌を見て、今では天文部そのものが好きになっていた。

あたしが卒業して、天文部はどうなっちゃうのかなって思ったけど……。新入生の子が入部してくれて、なんとか存続しているなんて話をつぐちゃんから聞いた。

あたしは無性に、その子のことが気になってしまった。なんだか『るんっ♪』ってするような気がしたから。

でも、おねーちゃんにそのことを話したら笑われたんだけど……なんでなんだろう?


久しぶりに『るんっ♪』とした私は、つぐちゃんに無理を承知で頼んだら、快く入校許可証を発行してくれた。

扉の前で、互いにぶつかりそうになった時は驚いた。でも。その子の瞳は私にとって『るんっ♪』とするものが見えた。ちゃんと私や先輩みたいに、〔羽丘の天文部〕を守ってくれる。

根拠はないけど、確信しているあたしがいた。

「私は……星を見るのが好きで……。でも、一人で夜空を見るのは、少しだけ怖くて。」

言葉の整理をつけながら、私は少しずつ声に出す。

「だから、その……よくプラネタリウムとかで……星を見たりとかして……。」

日菜先輩は、私の話を黙って聞いてくれた。

さっきまでの勢いが嘘だったかのように。

「星って、いろんな光があって……綺麗だなぁって……。」

石を集めるのは、石が綺麗だから。

同じように、星を眺めるのは綺麗だから。

ただそれだけの、単純な理由。

「誰かと一緒に……星を見たいなって思ったことは……あるんですけど……。なかなか言い出せなくて……。」

「みんなは……もっと積極的になれるのに……私は全然できなくて……。」

あのちゃんと、立希ちゃんと、そよちゃんと、楽奈ちゃんと。

MyGO!!!!!の5人で星を見たい。

ずっと考えて、望んできたことなのに、あと一歩が踏み出せない。

「私って、みんなみたいに……上手く生きられないんだなって……。そんなことを考えちゃって……。」

部室から持ってきた懐中電灯の赤い光が、微かに屋上を照らす。

天体観測と呼べるほどの大層なものじゃない。日菜先輩が、せっかくなら後輩と天文部っぽいことがしたいからと、段ボールの中から手早く見つけ出したものだ。

私の言葉を最後に、しばらく会話が止まった。

とはいっても、私が日菜先輩に一方的に喋っていたに過ぎない。話を振ってきたのは日菜先輩の方なのだから、何か返してくれてもいいんじゃないかなって思うけども。

なんだか次第に、私が何か間違ったことを言ってしまったんじゃないかと言う妄想が迫ってきた。でも、そんなはずないと思いたくて、隣に立つ日菜先輩の顔を見た。

目にしたのは、夜空を見上げる日菜先輩の瞳。キラキラと輝く翡翠の眼は、部室で会った時よりも一層光に満ち溢れている。

まるで、北に輝く一番星のように。

そんな姿に思わず見惚れていると、日菜先輩は徐に口を開いた。

「んー、燈ちゃんはそんなに難しく考えなくてもいいと思うなぁ。」

「天体観測はもっと穏やかで気楽に楽しむものだと思うんだよねー。なんか、燈ちゃんは色んなこと考えすぎちゃってると思うかな〜。」

先程と変わらない、明るい声色。

「あたしが2年生の時、みんなで天体観測をしたことがあったんだけどね。星座とか銀河とかの話をみんなに話したら、すっごく楽しんでくれたんだ〜。」

でも、なんだか優しい温もりを感じる音に聴こえる。

「燈ちゃんはもっと、自信を持った方がいいと思うな!って言っても、『自信を持つ』ってあたしには分かんないんだけど、おねーちゃんなら燈ちゃんのこと、そう言うと思うな〜。」

神無月に吹く風は、どんどん熱を奪っていく。

夜になればさらに寒く、思わずブレザーの袖を掴んだ。


「『たとえ輝き方が違っても並んで輝くことはできる……。共感することはできなくても、理解することはできる。』」


「これは、おねーちゃんが前に言ってたことなんだけどね。燈ちゃんも、あたしも、つぐちゃんも、おねーちゃんも、みんな違うんだよ。星を見て何を思うかも、みんなそれぞれ違う。でもだからこそ、あたしにはそれが面白いなって思うんだ〜!」

「それが……日菜先輩の……『るんっ!』ですか?」

「あはは、そうかも。」

そう語る日菜先輩は、おおよそ年上とは思えないほどに無邪気な眼差しを、夜空にむけていた。


あたしたち2人は、それから何も喋らなかった。言葉を交わさず、ひたすらにおなじ空を眺める、たったそれだけの時間。

あたし的には、みんなでワイワイやる天体観測の方が「るんっ♪」てする。でも、燈ちゃんみたいに自分と向き合う時間にするのも、凄くいいなって思う。

燈ちゃんは、あたしによく似てる。見えているものがおねーちゃん達と違う、あたし達だけの世界。それがどんなに綺麗で『るんっ♪』とするものかなんて、たとえみんなに理解されなくても、あたし自身が知っていればいい。

でも、燈ちゃんはあたしと違う。

燈ちゃんは、燈ちゃん自身が見えている世界を、言葉で表現している。

燈ちゃんが組んでいるバンドのライブを香澄ちゃんに見せてもらったことがあるけど、燈ちゃんの想いがたくさん詰め込まれていた。

この星空の下で、あたしたちが何かを話すことはもうないだろう。けど、気まずいなんてことはないし、それよりも居心地がいいとすら感じてくる。

静かに穏やかに流れるこの瞬間を、あたしは誰にも邪魔されたくない。


生徒会長さんが私たちを呼びに来てくださったのは、屋上に上がってしばらくしてからのことだった。

「日菜先輩、高松さん、そろそろ……。」

「あ、つぐちゃん!今戻るね!」

そう返答した日菜先輩は、校内へと戻る扉へと向かっていった。私も置いていかれないように、日菜先輩の後を追いかける。


一人ぼっちの帰り道。

私は日菜先輩が最後に言っていたことを思い返していた。

『あたしも家に帰ったら、燈ちゃんみたいに詩を書いてみようかなって思ったんだ!もし完成したら、燈ちゃんに最初に見てもらいたんだけど……いい?』

私も家に着いたら、今日のことを書いてみよう。

あの星空を共有した日菜先輩に、私の書いた詩を読んでもらいたい。


それがきっと、私と日菜先輩の二人で見た一瞬の瞬きを残す、唯一のやり方だから。